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被疑者の権利|総説

公開:2025/10/21

(1)犯人であると疑われ権力作用である捜査の対象とされた被疑者は、胎弱な立場にある。これまで説明してきたとおり、被疑者の権利・自由を侵害・制約する捜査機関の活動に対しては、主として司法権による制(強制捜査に対する令状主義及び任意捜査の事後規律)が設定されているが、それだけでは公権力行便に対する安全装置として不十分である。捜査手続全体の「適正な」作動(憲法31条)を確保するためには、被疑者の側にも公権力行使から保護されるべき法的権利が付与され、さらにこれを現に行使することが実質的に確保されなければならない。(2)被疑者が無権利状態で公権力の行使に曝されれば、個人の尊厳という人格的法益侵害の危険が高まるだけでなく、刑事手続の重要な目標である事案の真相解明をも誤る危険が増大する。このような事態は、各国の刑事手続が歴史的に経験し、それ故、現代文明諸国の刑事手続は、被疑者ないし被告人の法的地位を改善し、基本権としてその権利を保障するに至っている。その中核をなすのは、黙秘権(自己負罪拒否特権)及び弁護人の援助を受ける権利であり、わが国でも、憲法上の権利として保障されている。また。捜査機関の行う不利益処分に対しては、被疑者側に不服申立ての途(例.準抗告)が設けられており、これは憲法31条の適正手続の要請に基づく。さらに、被疑者は公訴提起された場合、刑事訴訟の一方当事者たる被告人として活動を行う立場になることから、あらかじめ防禦準備に資する証拠を保全しておくための制度も設定されている(証拠保全請求手続)。これらの諸権利は、法的に保障されているだけでは実効性を父く。それが現に行使できることが実質的に確保されていなければならない。このような権利行使の実効性確保のために不可で最も基本的な権利は、法的権利行使の専門家たる「弁護人」の援助を受ける権利であるといえよう。以下では、順次これらの諸権利について説明する。なお、後記のとおり自己負罪拒否特権は「何人」に対しても保障された基本権であり、また、証拠保全請求は被疑者のみならず被告人の権利でもあることから。各々被疑者・被告人についてまとめて記述する。被告人の弁護人選任権については、別途説明する〔第3編公判手続第2章I〕。

「『刑事訴訟法』 酒卷 匡著・2024年9月20日」 ISBN978-4-641-13968-8

捜査の終結|公訴提起後における捜査

公開:2025/10/21

(1) 公訴提起を含む検察官の事件処理については、後述する〔第2編公訴第1章1)。ここでは、捜査はどの時点まで継続し、いつ終結するのかという観点から、公訴提起後における捜査の可否・限界をめぐる事項について説明する。捜査は、検察官の公訴提起と公判手続の遂行を目的として、犯人と証拠を保全・収集する活動であるから、公訴が提起された事件については、その本来的目標をほぼ達しているのが通常である。捜査の一般的必要は大きく減退し、補元的なものにとどまるはずであろう。また、公訴提起後は、捜査対象であった被疑者は「被告人」となり、刑事訴訟の一方「当事者」たる法的地位につくことになるから、他方の事者である検察官との間の均衡という配慮が必要である(序114.5)。さらに、刑事手続の最終目標である刑罰権の的確な具体的実現という観点からは、公訴提起後第1回の公判期日以降は、裁判所がこの目標に向けて証拠調べを行うのが制度の本来的形態である。以上の観点から、明文の制約はないものの,公訴提起後においては、主たる制度目的を達成したはずの捜査にはある程度の制約が生じることになると解される。(2)第一,第1回の公判期日前には、被告人側に証拠保全請求手続(法179条)〔第9章〕が認められていることとの均衡上、これと同様の強制処分(押収,捜索、検証,鑑定処分)について、同様の条件、すなわち「あらかじめ証拠を保全しておかなければその証拠を使用することが困難な事情があるときは」裁判官の令状を得て実行することができると解される。なお、検察官による証人尋問請求〔第4章13)については、第1回の公判期日前に実施できる旨明文がある(法 226条・227条)。これに対して、第1回の公判期日以降は、前記のとおり裁判所が証拠調べに着手実行するのが本来的形態であるから、強制捜査に該当する処分は、検察官が裁判所に申し出て、その証拠調べとして目的を実現するのが適切であろう。(3) 第二、任意捜査については、一般的「必要」は減少しているはずであるが、その性質上、対象者に対する法益侵害の質・程度は強制処分に比して小さいので、被告人以外の対象者に対する任意捜査(例、第1回公判期日前の参考人の取調べ、強制を伴わない鑑定の幅託、任意提出物または遺留物の領置、公務所等への照会)は,許容されると解される。(4) 第三、これに対して、任意捜査であっても、当事者たる地位についた「被告人」に対する取調べについては、その性質上固有の問題がある。取調べは、相手方の意思に働き掛けて供述証拠を獲得する形態の捜査であり、その性質上、一方当事者たる検察官が、法的に対等な当事者たる地位にある被告人に対してこれを実行すること自体に疑問がある。とくに勾留中の被告人に対する取調べは、身体拘束の影響で被告人の黙秘権(法311条1項)が事実上侵害されるおそれを伴う。また。第1回の公判期日以降は、裁判所が、公判期日における被告人質問(同条2項・3項)の手続を通じて、被告人の供述を直接聴取するのが本来的形態である。このような点に鑑みると、第1回の公判期日以降は、原則として被告人に対する取調べは許されないと解すべきである。例外的場面があり得るとすれば、第1回の公判期日前において、被告人の当事者たる地位を尊重して弁護人の援助と黙秘権の実質的保障が確保される状況のもとで,必要最小限度許される場合があるにとどまるであろう。想定される例外の第一は、被告人側から任意に供述することを申し出た場合,第二は、共犯者に対する捜査との関係で被告人の供述を求める必要が生じた場合が考えられる。第一は実質的に弁解聴取であり、第二は実質的に参考人取調べとみられるからである。なお,被告人の余罪被疑事実に関する取調べは別論である。もっとも、人が「被告人」としての地位にある点に配慮が必要となる。最高裁判所は、第1回の公判期日前に勾留中の被告人に対する取調べが行われた事案について,法 197条は、「捜査官の任意捜査について何ら制限をしていないから、同法 198条の『被疑者』という文字にかかわりなく、起訴後においても、捜査官はその公訴を維持するために必要な取調を行うことができるものといわなければならない。......[しかし]起訴後においては被告人の当事者たる地位にかんがみ、捜査官が当該公訴事実について被告人を取り調べることはなるべく避けなければならない」と説示している。もっとも、被告人側から検察官に供述の申出のあった当該事案について、直ちに違法とはいえないとしている(最決昭和36・11・21刑集15巻10号 1764頁)。

「『刑事訴訟法』 酒卷 匡著・2024年9月20日」 ISBN978-4-641-13968-8

捜査の終結|普察における捜査の終結|警察における微罪処分

公開:2025/10/21

1) 事件送致の例外として、察段階で手続を終結させる「微罪処分」としての不送致がある。法は、公訴提起の可能性が乏しい「検察官が指定した事件について」送致を要しないとしている(法 246条但書)。公訴提起・審理・裁判という司法手続に至る前の段階で事件を処理し、被疑者を刑事手続から離脱させるいわゆる「司法前処理」の一種である。(2) 各地方検察庁の検事正は、法193条1項の一般的指示権の行使により〔第1章12),犯情とくに軽微な少額の盗、詐欺,横領,賭博等の「微罪事件」をあらかじめ指定している。犯罪捜査規範は、微罪処分を行う場合について(犯罪捜査規範198条),被疑者に対する厳重な訓戒,被害回復や被害者に対する謝罪等の勧奨、親権者・雇主等被疑者を監督する地位にある者の呼出と将来の監の約束取付け等の処置を規定している(犯罪捜査規範 200条)。微罪処分にはこのような察による介入を伴う点に留意すべきである。警察は、微罪処分を行った事件について、処理年月日、被疑者の氏名、年齢、職業及び住居、罪名ならびに犯罪事実の要旨を1月ごとに一括して、微罪処分事件報告書により検察官に報告しなければならない(犯罪捜査規範199条)。

「『刑事訴訟法』 酒卷 匡著・2024年9月20日」 ISBN978-4-641-13968-8

捜査の終結|普察における捜査の終結|検察官への事件送致

公開:2025/10/21

(1) 大多数の事件については、まず察における捜査が実行される。察の捜査が進展し,「狙人」の特定・捕提と犯罪の成立及び情状に関する「証拠」が収集されたときは(法 189条2項参照),捜査の対象とされた「事件」を検察官に引き継ぐ手続が行われる。これを「事件送致」という。司法察員は、犯罪の捜査をしたときは、原則として,速やかに書類及び証拠物とともに「事件」を検察官に送致しなければならない(法 246条)。なお、検察官に送致される「書類」には、司法察職員が捜査の過程で作成した供述調書,検証・実況見分調書,捜査報告書等の捜査書類や私人の提出した被害届等も含まれる。事件送致の際には、犯罪事実及び情状に関する察の意見を附した「送致書」が添付される(犯罪捜査規範195条)。この手続を介して、被疑事件は、公訴提起の権限を独占する検察官のもとに集中されてゆくことになる(法247条・248条)。事件送致を受けた検察官は、法律家として公訴提起の可否・要否等の「事件処理」に向けた捜査を実行する(法191条参照)。送致後は、普察は補助的立場となるが、補充すべき新証拠等参考となる事項を発見したときは、これを検察官に追送する。(2)前記のとおり普察において被疑者を逮捕したときは、司法警察員は、48時間の制限時間内に、書類及び証拠物とともに被疑者を検察官に送致する手続をしなければならない。これを「身柄送致」という(法 203条1項・211条・216条)〔第3章II4(2)〕。また、告訴・告発・自首を受けたときは、速やかにこれに関する書類及び証拠物を検察官に「送付」しなければならない(法 242条・245条)〔第2章Ⅳ(5)]。これらの手続は法246条にいう「この法律に特別の定のある場合」に当たる。察における捜査は続行される

「『刑事訴訟法』 酒卷 匡著・2024年9月20日」 ISBN978-4-641-13968-8

その他の捜査手段|証拠収集等への協力及び訴追に関する合意

公開:2025/10/21

1) 被疑者の取調べと供述調書への過度の依存を改め、取調べ以外の方法で供述証拠等を獲得する手段として、2016(平成 28)年の法改正により、捜査・公判協力型の協議・合意制度が新たに導入された(2018[平成30]年6月1日施行)。検察官が、一定の財政経済関係犯罪及び薬物銃器犯罪について、共犯関係等にある被疑者・被告人のうち一部の者との間で、その者が他人の犯罪事実を明らかにするため真実の供述その他の協力的行為をする旨、及びその場合には検察官が当人の事件について不起訴処分、特定の求刑その他の行為をする旨を合意することができるものとし、このような両当事者間の協議・合意を通じて、他人の犯罪行為の訴追・処罰に必要な供述証拠等を獲得しようとするものである。検察官がこのような合意をすることができる根拠は、公訴権の行使に関する検察官の裁量権限(法 248条)に求めることができよう。その概要は、次のとおり(法第2編第4章「証拠収集等への協力及び訴追に関する合意」。350条の2〜350 条の15)。(2) 検察官は,「特定犯罪」(強制執行妨害関係犯罪,造関係犯罪,贈収賄罪,詐欺・恐喝の罪,横領の罪、租税関係法律・独占禁止法・金融商品取引法に規定する罪その他の財政経済関係犯罪として政令で定めるもの,薬物銃器犯罪等)に係る事件の被疑者または被告人が、特定犯罪に係る他人の刑事事件について、当該他人の辺罪事実を明らかにするために被疑者または被告人が行う行為により得られる証拠の重要性、関係する罪の軽重及び情状、当該関係する犯罪の関連性の程度その他の事情を考慮して、必要と認めるときは、被疑者または被告人との間で、被疑者または被告人が捜査・公判に協力する行為(被疑者または参考人としての取調べに際して真実の供述をすること、証人として尋問を受ける場合において真実の供述をすること、捜査機関による証拠の収集に関し,証拠の提出その他の必要な協力をすること)の全部または一部を行う旨及び当該行為が行われる場合には検察官が被疑事件または被告事件について当該被疑者・被告人に有利となる行為(不起訴処分、特定の訴因・罰条による起訴、公訴の取消し、特定の訴因・罰条への訴肉変更請求、即決裁判手続の申立て、略式命令請求、特定の求刑意見[裁判所を拘束するものではない]の陳述)の全部または一部を行う旨の「合意」をすることができるものとする(法350条の2)。なお,この合意をするには弁護人の同意がなければならない。この合意は、検察官、被疑者または被告人及び弁護人が連署した書面により、その内容を明らかにして行う(法350条の3)。この合意をするため必要な「協議」は、原則として,検察官と被疑者・被告人及びその弁護人との間で行う。弁護人は協議に常時関与する(法 350条の4)。なお、検察官は、察が捜査を実施した送致事件等の被疑者との間で前記「協議」をしようとするときは、事前に司法察員と協議しなければならないものとし、検察官は、他人の刑事事件について司法察員が現に捜査していることその他の事情を考慮して、当該他人の刑事事件の捜査のため必要と認めるときは、前記「協議」における必要な行為を司法察員にさせることができる。この場合、司法察員は、検察官の個別の授権の範囲内で、合意の内容とする行為に係る検察官の提案を、被疑者または被告人及び弁護人に提示することができる(法 350条の6)。このように協議過程への司法察員の関与を制度化するのは比較法的に例のないものであるが、普察捜査との緊密な連携とその適正担保に資するであろう。(3)合意に係る公判手続の特則として、被告事件についての合意があるとき、または合意に基づいて得られた証拠が他人の刑事事件の証拠となるときは、これを手続上明示するため、検察官は、合意に関する書面の取調べを請求しなければならない。その後に合意の当事者が合意から離脱したときは、離脱に関する書面についても同様とする(法350条の7~350条の9)。(4) 合意の当事者は、相手方当事者が合意に違反したときその他一定の場合には、合意から離脱することができる(法 350条の10)。検察官が合意に違反して公訴権を行使したときは、裁判所は、判決で当該公訴を棄却しなければならない(法350条の13第1項)。また、検察官が合意に違反したときは、協議において被告人がした供述及び合意に基づいてした被告人の行為により得られた証拠は、原則として、証拠とすることができない(法350条の14)。(5)合意が成立しなかったときは、被疑者・被告人が協議において他人の刑事事件についてした供述は、原則として、証拠とすることができない(法 350条の5第2項)。(6) 虚偽証拠により他人が訴追・処罰されることを防止するため、合意をした者が、合意に係る行為をする場合において、捜査機関に対し、虚偽の供述をし、または偽造・変造の証拠を提出したときは、処罰する(法350条の15)。(7) 以上の捜査・公判協力型の協議・合意制度は、併せ導入されることとなった「刑事免責制度」〔第9章 144)〕と共に、取調べによる供述得に代わる新たな立証手段を導入するものであり、今後の運用が注目される。

「『刑事訴訟法』 酒卷 匡著・2024年9月20日」 ISBN978-4-641-13968-8

その他の捜査手段|おとり捜査|違法なおとり捜査の効果

公開:2025/10/21

1)違法なおとり捜査が実行された場合には、通常の捜査手続に違法があった場合と同様に、そのような違法捜査を通じて収集された証拠の排除という法的効果が想定される。前記判例(最決平成16・7・12)は、実行されたおとり捜査が適法であったとの前提で,「本件の捜査を通じて収集された・・・・・・各証拠の証拠能力を肯定した原判断は、正当として是認できる」と説示しているので、違法なおとり捜査を通じて収集された証拠の証拠能力が否定される場合のあり得ることを示唆するものといえよう。(2)証拠排除以外の法的効果については、様々な議論があり得るが、前記のとおり、おとり捜査が原則として違法な教唆・青助に該当する犯罪行為であることから、そのような不当な捜査手段を通じて対象者に対する刑事訴追を続行し有罪判決を獲得しようとする国家の活動自体が、全体として「基本的な正義の観念」に反する手続と評価されれば、裁判所が憲法31条違反を理由に刑事訴追の進行自体を遮断する(公訴棄却または免訴による手続打ち切り)余地もあるように思われる(最決昭和28・3・5刑集7巻3号482頁は、「他人の誘惑により犯意を生じ又はこれを強化された者が犯罪を実行した場合に、わが刑事法上その誘惑者が場合によっては…・・・・・教唆犯又は従犯として責を負うことのあるのは格別,その他人である誘惑者が一私人でなく、捜査機関であるとの一事を以てその犯罪実行者の犯罪構成要件該当性又は責任性若しくは違法性を阻却し又は公訴提起の手続規定に違反し若しくは公訴権を消滅せしめるものとすることのできないこと多言を要しない」という。実体法の解釈はそのとおりであろう。しかし、手続法解釈については再考の余地があろう)。

「『刑事訴訟法』 酒卷 匡著・2024年9月20日」 ISBN978-4-641-13968-8

その他の捜査手段|おとり捜査|任意捜査としての適否

公開:2025/10/21

(1) おとり捜査の「働き掛け」行為は、捜査機関が対象者に実行させようとしている犯罪類型の保護法益を侵害する実質的・具体的な危険を生じさせる点で実体的に違法な活動であり、それ故刑事手続法上の捜査手段としては原則として違法・不相当と評価されるべきであろう。前記のとおりこれが任意捜査として正当化される場合があり得るとすれば、高度の「必要」(法197条1項本文)があり、狙罪実行に伴う法益侵害発生の具体的危険を極小化できる場合に限られると解すべきである。(2)前記判例(最決平成16・7・12)は、おとり捜査が適法とされ得る場合について、「少なくとも、直接の被害者がいない薬物犯罪等の捜査において」と述べる。直接の被害者がいない犯罪類型では、狙罪実行に伴う直接的な法益侵害発生の具体的危険はないといえるであろう(例,薬物・銃器の譲渡罪・譲受罪わいせつ物の頒布・販売罪等)。もっともこのような場合でも、犯人検挙に失敗して逃走されると禁制薬物や銃器等危険物が流出することから、このような危険をあらかじめ確実に除去できるだけの態勢確保が不可欠というべきであろう。これに対して、例えば、生命・身体・財産に対する罪については、具体的な被害者が想定され法益侵害発生の具体的危険を直接生じさせることになるから、そのような犯罪の実行を働き掛けるのは違法というべきである。最高裁の「少なくとも」という言辞の趣意は不明である。極めて高度の「必要」,とくに他におよそ捜査手段がないという高度の補充性が認められるとき、例外的に直接の被害者が想定される財産犯罪等においても適法なおとり捜査の余地を認める趣意であろうか。(3)おとり捜査が「捜査」である以上、当然の前提として特定の犯罪の「嫌疑」が存在しなければならない。前記判例(最決平成16・7・12)は「機会があれば処罪を行う意思があると疑われる者を対象に」したおとり捜査を適法と判断しているが、薬物取引を反復継続している等の事情から、「機会があれば犯非を行う意思」を疑われる対象者については、当該標的処罪についてもそれを実行する高度の蓋然性、すなわち「高度の嫌疑」あるいは「犯罪が犯されると疑うに足りる十分な理由」が認められるといえるであろう。これに対して、対象者に「機会があれば犯罪を行う意思があると疑われる」事情がなければ、「捜査」の前提たる嫌疑を欠くというべきであるから、そのような者に対するおとり捜査は違法というべきである。(4) 任意捜査としての「必要」(法197条1項本文)は、真にやむを得ない最終的手段として厳格な補充性が認められる場合に限られるべきである。判例は、「通常の捜査手法のみでは当該犯罪の摘発が困難である場合」と述べると共に、当該事案において他の捜査手段によっては証拠を収集し,被疑者を検挙することが困難な状況にあったことを具体的に検討・認定している(前記最決平成16・7・12参照)。このように、通常の捜査手法による摘発の一般的な困難ではなく、具体的補充性が認められる場合に限り、例外的に犯行の働き掛けが正当化され得るとみるべきである。

「『刑事訴訟法』 酒卷 匡著・2024年9月20日」 ISBN978-4-641-13968-8

その他の捜査手段|おとり捜査|法的性質

公開:2025/10/21

1) 「おとり捜査」とは、「捜査機関又はその依頼を受けた捜査協力者が、その身分や意図を相手方に秘して狙罪を実行するように働き掛け、相手方がこれに応じて犯罪の実行に出たところで現行逮捕等により検挙する」捜査手法をいう(最決平成16・7・12刑集58巻5号333頁)。直接の被害者がいない犯罪類型(例,薬物・銃器等禁制品の取引行為を内容とする犯罪)の捜査において用いられることがある。このような犯罪類型は、被害者の通報による発覚の機会がなく、また通常秘密裏に実行されるため、他の捜査手法によって証拠を収集することが困難な事情がある場合に,被疑者の現行犯逮捕等を見込んで、捜査機関側から「働き掛け」が行われるのである。しかし、対象者に「犯罪を実行するように働き掛け」る捜査機関の活動は、犯罪の教唆・幇助という違法行為そのものに該当する。このように原則として「不相当」な類型的行為態様の捜査手法が、刑事手続法上適法かつ相当と認められることがあり得るとすれば,それを説得的に説明できる高度の正当化事由がある場合であろう。(2)対象者は、捜査機関側の働き掛けや身分・意図の秘匿にされて犯罪の実行に着手することになるものの、狙行の動機形成過程においてみだりに数罔されず錯誤に陥ることなく狙罪を実行する自由が、法的保護に価する人格的法益であるとは到底思われない。捜査機関の「働き掛け」に応じるとはいえ、犯行の着手それ自体は対象者の自由な意思決定に基づいているから、対象者の意思を制圧するような法益侵害は認められない。なお、捜査機関による働き掛け行為の時点までに、対象者が、過去に同種同態様の犯行を反復継続している等、機会があれば行に出る見込みがあった場合(いわゆる「機会提供型」)であるか、そのような事情がなかった場合(いわゆる「犯意誘発型」であるかは、捜査機関の働き掛けそれ自体の違法性ないし法益侵害の質・程度を変化させる要因ではない。いずれの場合も、捜査機関の働き掛けにより犯罪の実行に着手させるという点、すなわち対象者の犯行に原因を与えこれを誘発する行為である点で、何ら異なるところはない。(3)このように、捜査機関による働き掛けは、対象者の意思を制圧してその意思決定をめぐる法益を直接侵害するような「強制」の要素を伴わないから、捜査手段としての法的性質は「任意捜査」(法 197条1項本文)である。最高裁判所は、「おとり捜査を行うことは、刑訴法 197条1項に基づく任意捜査として許容される」場合があると説示している(前記最決平成 16・7・12)。*捜査機関が「働き掛け」行為を開始する時点において、現行犯逮捕等により検挙することが見込まれる標的となる具体的犯罪はいまだ実行されていない。しかし、「働き掛け」行為その他の具体的状況に基づき、当該標的狙罪が実行される高度の蓋然性が認められる場合、おとり捜査は、「罪があると思料するとき」に実施される「捜査」そのものである。最高裁判所が、おとり捜査を「捜査の端緒」ではな<,「法197条1項に基づく任意査」と位置付けているのは、このような理解によるとみられる〔第1章11(1)*)。**判例のいう「おとり捜査」に当たるかどうかは、捜査機関側からの「働き掛け」行為の存在とこれに起因する犯行の着手があるかによる。例えば、スリ常習者の犯行着手を見込んでこれを監視する捜査は、捜査機関側からの「働き掛け」とこれに起因する犯行着手がないので、もとよりおとり捜査ではない。「監視付き移転」捜査も、捜査機関側が働き掛けて禁制薬物の密輸入自体を実行させるわけではない。これに対して、直接の被害者がある犯罪類型ではあるが、例えば、捜査官が眠り込んだ酔客を装い、これに数罔されて金品の取に着手した犯人を現行犯逮捕するのは、「働き掛け」行為により犯行に着手させるおとり捜査といえよう。

「『刑事訴訟法』 酒卷 匡著・2024年9月20日」 ISBN978-4-641-13968-8

その他の捜査手段|通信・会話のの傍受|会話の一方当事者による同意・秘密録音

公開:2025/10/21

(1) 前記のとおり法222条の2は、「通の当事者のいずれの同意も得ないで」行われる傍受が「強制の処分」に該当することを前提としている。反面、この規定は、捜査機関が、通・会話事者の一方の同意を得て行う通話内容の聴取・録音や、一方当事者自らが相手方の承諾なしに通話内容を録音しこれを捜査機関に提供するのは、「強制の処分」に当たらないとの法的評価を示唆すると読むことができる。事者のいずれの同意も得ないで行われる通話内容の聴取・録音は、みだりに私的な会話を他人に聴取・録音されない自由ないし期待の侵害に加えて、そこで行われる会話内容の秘密性ないし通信の秘密を併せ侵害する強度の法益侵害を伴う類型的行為態様と認められる。これに対して、当事者の一方が聴取・録音に同意したり、当人がこれを密かに録音する場合、通話内容の秘密性という法益は放棄されているとみられるので、他方当事者のみだりに私的な会話を聴取・録音されないという自由・期待のみが侵害されると考えられる。そこで、このような捜査手段の法的性質は、この法益侵害をどのように評価するかで決まることになる。(2) これを憲法13条に由来する私生活上の自由として厳格に保護すべき価値の高い法益と位置付ければ、傍受と同様に強制処分とみるべきであるとの議論もあり得よう。これに対して、公道上に居る人の容貌等の撮影の場合と同様、令状による事前審査を要するような高度の法益侵害を伴う類型的行為態様とまではいえないとすれば、任意捜査と評価されることになろう。前記法 222条の2が、後者の立場を示した規定でもあると解すれば、通・会話の一方事者の同意に基づく聴取・録音や,一方当事者による秘密録音は、具体的状況のもとで、当該捜査手段の「必要」と、これによって侵害されたみだりに私的な通話・会話内容を聴取・録音されないという自由ないし期待の具体的な程度との権衡如何により、任意捜査としての適否が決まるということになるはずである(法 197条1項本文)。

「『刑事訴訟法』 酒卷 匡著・2024年9月20日」 ISBN978-4-641-13968-8

その他の捜査手段|通信・会話のの傍受|「通信傍受法」の規律

公開:2025/10/21

(1) 通信傍受法の位置付けについては、既に述べた〔前記2(1/2))。以下、この法律の前提とする基本用語と規律の概要を説明する。なお、2016(平成28)年に当初設計導入された通傍受制度を合理化・効率化することを目的とした法改正がなされたので,その概要も併せ説明する。一般に電気通言とは、電磁的方式により、符号、音響または影像を送り、伝え、または受けることすべてをいう(電気通事業法2条参照)。しかし、無線のみによる通言は、第三者に聴取されること自体は受忍せざるを得ない形態であるから、傍受が「強制の処分」となる法222条の2及び通言受法にいう「電気通」とは、電話その他の電気通で、その伝送路の全部もしくは一部が有線であるもの、またはその伝送路に交換設備のあるものをいう(通言受法2条1項)。「傍受」とは、現に行われている他人間の通について、その内容を知るため、当該通の当事者のいずれの同意も得ないで、これを受けることをいう(同条2項)。(2) 通信傍受による捜査は、通常の強制処分とは異なり、対象罪が限定されている。制度導入当初は、法の別表に規定する薬物関連犯罪、銃器関連犯罪,集団密航の罪及び組織的殺人の罪(2016[平成 28]年改正後の別表1。以下後記別表2と併せ「別表犯罪」という)に限られていた(通信傍受法3条1項)。通言受という基本権侵害の著しい捜査手段を用いることが真にやむを得ないと認められる犯罪類型を検討しあらかじめ設定するのは立法府の権限であるから、法改正によらず、別表犯罪以外の犯罪類型について、この法律の規定を準用して通信傍受を行うことは、もとより許されない。*前記新時代の刑事司法制度特別部会の審議の結果、2016(平成28)年に対象犯罪を拡大する法改正が行われた。通信傍受の対象犯罪として、前記別表1のほかに①殺傷犯等関係(現住建造物等放火・殺人・傷害・傷害致死・爆発物の使用)、②連捕・監禁、略取・誘拐関係、③盗・強盗関係、④詐欺・恐喝関係,⑤児童ポルノ関係の犯罪が追加された(別表2)。なお追加される対象犯罪については、法の規定する傍受の実施要件〔後記(3)〕に加えて、「あらかじめ定められた役割の分担に従って行動する人の結合体により行われる」と疑うに足りる状況があることが要件とされる(法3条1項各号)。傍受の実施を組織的犯行態様の犯罪解明を目的とする場合に限定する趣旨である。**情報通技術の進展・普及に対応する法整備として法制審議会が答申した法改正要綱では、傍受対象犯罪に「財産上不法の利益」を得る強盗、詐欺・恐喝の犯罪類型が追加された。これは、電子決済や電子商取引の普及に伴い、被害者の暗号資産をだまし取る、暴行・脅迫でその移転を強要する、電子マネーを購入させそのID等を犯人側に伝達させる等の組織的犯行態様に対応しようとするものである。(3) 強制処分である通信傍受は、裁判官の発付する状(「傍受状」)に基づいて行われる。令状裁判官の事前審査すべき要件は次の第一から第四である(通傍受法3条1項)。第一,①別表犯罪が犯されたと疑うに足りる十分な理由があること、②別表犯罪が犯され、(i)引き続きこれと同様の態様で犯される同一もしくは同種の別表犯罪または(ii)当該犯罪の実行を含む一連の犯行計画に基づいて別表犯罪が犯されると疑うに足りる十分な理由があること、または③死刑または無期もしくは長期2年以上の拘禁刑に当たる罪が別表犯罪と一体のものとしてその実行に必要な準備のために犯され、かつ、引き続き当該別表犯罪が犯されると疑うに足りる十分な理由があること、これら①②③のいずれかを充たす必要がある。第二、さらに,原則として、当該別表犯罪が数人の共謀によるものであると疑うに足りる状況があるときでなければならない(例外は同法3条2項参照)。第三、これらの犯罪について、その実行、準備または証拠隠滅等の事後措置に関する課議、指示その他の相互連絡その他当該犯罪の実行に関連する事項を内容とする通信(「犯罪関連通信」という)が行われると疑うに足りる状況があること。第四、他の方法によっては、犯人を特定し、または犯行の状況もしくは内容を明らかにすることが著しく困難であること。これらの要件は、憲法上、状裁判官の審査対象となるべき処分の「正当な理由」(憲法 35条)の実定法による表現である。対象犯罪についての高度な嫌疑(「十分な理由」,通信受捜査の一般的必要性(数人共謀),傍受対象となる犯罪関連通信」の存在する蓋然性、通信傍受捜査の「補充性」が示されている。なお、要件第一の②、③は、状審査・発付の時点ではいまだ犯されていない別表犯罪が将来実行されるであろう高度の蓋然性判断(「別表犯罪が犯されると疑うに遅りる十分な理由がある」)を明文で規定したものである。令状主義のいまひとつの重要な要請である処分対象の特定に関しては、傍受の対象となるべき通手段は、電話番号その他発信または発信先を識別するための番号等によって特定された通信手段であって、被疑者が通信事業者等との間の契約に基づいて使用するもの(犯人による犯罪関連通に用いられる疑いのないものは除く)、または犯人による犯罪関連通に用いられると疑うに足りるものであり、傍受すべき対象は、「狙罪関連通信」とされる。これに対応して、「傍受状」には、通常の捜索・差押えや検証の状とは異なり、罪名に加えて被疑事実の要旨と罰条が必要的記載事項とされているほか、傍受すべき通傍受の実施の対象とすべき通手段,傍受の実施の方法及び場所、傍受ができる期間等が記載される(通信傍受法6条)。被疑事実の要旨と罰条の記載は、犯罪関連通信を令状においてできる限り特定するためである。(4) 傍受状の請求権者は、一般の状と異なり、検察官については検事総長の指定する検事,司法察員については公安委員会の指定する視以上の察官等に限られる。また、状発付権限を有する裁判官は地方裁判所の裁判官に限定される(通信傍受法4条1項)。通信傍受ができる期間は、令状発付時に10日以内の期間が定められる(同法5条1項)。この期間は、10日以内の期間を定めて延長することができ、通じて30日を超えることができない(同法7条1項)。裁判官は、傍受の実施に関し、適当と認める条件を附することができる(同法5条2項)。(5)「傍受の実施」は、法により、通信の傍受をすること及び通信手段について直ちに修受をすることができる状態で通信の状況を監視することをいうと定義されている(同法5条2項)。実施にあたり、通信手段の傍受を実施する部分を管理する者等への令状の提示(同法10条)、捜査機関の「必要な処分」(花気通備設備に併受のための機器を接続することその他の必要な処分」である。(同法11条]),これに対する通信事業者等の協力義務(同法12条)、管理者等の立会い(同法13条1項)等が規定されている。         (6) 傍受対象は「犯罪関連通」であるが、傍受状に特定記載された傍受すべき通に該当するかどうかが明らかでないものについては、傍受すべき通信に該当するかどうかを判断するため、これに必要な最小限度の範囲に限り、当該通を傍受することができる(通信傍受法 14条1項)。この規定の法的性質は、前記のとおりである〔前記213〕。(7) 捜査機関が傍受を実施している間に,傍受状に被疑事実として記載されている犯罪以外の犯罪で,別表犯罪または死刑もしくは無期もしくは短期1年以上の拘禁刑に当たるものを実行したこと、実行していることまたは実行することを内容とするものと明らかに認められる通が行われたときは、当該通信の傍受をすることができる(通信傍受法 15条)。この場合には、当該通に係る犯罪の罪名及び罰条ならびに当該通が他の犯罪の実行を内容とする通信であると認めた理由を記載した書面が捜査機関から裁判官に提出され、裁判官は、これが前記通信に該当するかどうかを事後審査し,該当しないと認めるときは、当該通の傍受の処分を取り消すものとされている(同法 27条1項6号・3項参照)。この措置は、高度の必要性に基づく緊急の傍受実施を事後的に裁判官の審査に附して状主義の要請を充足するものである。裁判官の事後審査は、単なる立法政策ではなく、憲法上の要請とみるべきであろう。(8)適正手続の要請から、傍受実施後の措置に関する多数の規定が設けられている。傍受した通信は、すべて記録媒体に記録され(「原記録」という),立会人が封印した上、傍受令状を発付した裁判官の所属する裁判所の裁判官に提出され、保管される(通信傍受法24条1項・25条1項・4項)。傍受した通信の内容を刑事手続で使用するためには、原記録の複製から犯罪と無関係な通信の記録を消去した記録(「傍受記録」という)が作成される(同法 29条)。傍受記録に記録されている通信の当事者に対しては、原則として通信を傍受したこと等が通知される(同法30条1項)。このほか、傍受記録または原記録の聴取,閲覧,複製作成に関する規定(同注31条・32条)、裁判官がした通信の傍受に関する裁判,検察官等がした通信の傍受に関する処分に対する不服申立てに関する規定(同法33条)等が整備されている。*2016(平成28)年に暗号技術を活用し、「特定電子計算機」を用いる傍受方法を導入し、これに伴い。前記立会い等を不要とし、またリアルタイムでなく事後的聴取を可能とする等の合理化・効率化を目的とした法改正が行われた(その施行は、2019年6月1日)。通信傍受法制定当時に比して通信データ暗号化等の技術革新が進行した状況に対応するものである。特定電子計算機とは傍受した通信や傍受の経過を自動的に記録し、これを即時に暗号化する機能等を有する装置で、これを用いることで、立会い・封印を不要とし、かつ、通信内容の聴取等をリアルタイムで行う方法による傍受とその聴取等を事後的に行う方法による傍受を可能とする(通傍受法 23条)。特定電子計算機を用いて記録がされた傍受の原記録は、傍受の実施の終了後遅滞なく裁判官に提出される(同法26条)。また。通信事業者等の施設において傍受を実施する場合にも、通内容を暗号化して一時的に保存することにより、その聴取等を通信事業者等の立会いの下で事後的に行うことを可能とする(同法 20条1項・21条1項等)。この場合。暗号化・復号化に必要な鍵は裁判所職員が作成し(同法9条1号),傍受の原記録についての封印や裁判官への提出については、前記法の規定による傍受の場合と同様とする(同法 24条・25条)。

「『刑事訴訟法』 酒卷 匡著・2024年9月20日」 ISBN978-4-641-13968-8

その他の捜査手段|通信・会話のの傍受|既存の強制処分との関係

公開:2025/10/21

(1) 刑事訴訟法は、電気通信の傍受について、「通信の当事者のいずれの同意も得ないで電気通信の傍受を行う強制の処分については、別に法律で定めるところによる」(法222条の2)と規定している。この条文は、このような態様の通信傍受が、要件・手続の法定と状主義による事前統制を要請される「強制の処分」であることを明示すると共に,刑事訴訟法上の強制処分法定の要請(法 197条1項但書)を形式的に充足させるものである。これを受けて、「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」(平成11年法律137号)が制定されている(以下「通信傍受法」という)。その規律の概要は後述する〔後記Ⅲ3〕また、この条文は、通の当事者のいずれかの同意を得て行われる傍受や、通信の一方当事者による通話内容の秘密録音は、「強制の処分」に該当しないことをも示唆する。これについては、別途検討する〔後記Ⅲ4)。(2)法222条の2及び通信傍受法により創設された「電気通信」の「傍受」処分に該当する捜査手段(通信傍受法2条1項・2項)は、この「特別の根拠規定」に法定された固有の要件・手続に従う場合にのみ適法である。言い換えれば刑事訴訟法に既存の強制処分規定の解釈・適用によってそのような通信傍受を実行することは許されず、実行すれば違法である。例えば、通信傍受法の定める対象狙罪(通信傍受法「別表」)以外の犯罪や対象犯罪について、法218条の定める「検証」の解釈・適用によって傍受を実行するのは違法である。また、対象犯罪以外の犯罪について、通信傍受法の要件・手続を「準用」して、裁判所が傍受を認めることは、強制処分法定主義に反し達意・遊法である(恋法31条、法197条1項但書・222条の2)。裁判所に立法府の明定した要件・手続に該当しない強制処分を許容する権限がないのは当然である。(3) 法定された「電気通」には該当しない会話傍受等の捜査手段について、既存の強制処分規定の解釈・適用によりこれを実行することができるか。最高裁判所は、「本件当時、電話傍受が法律に定められた強制処分の状により可能であったか否かについて検討すると、電話傍受を直接の目的とした状は存していなかったけれども、・・・・・・前記の一定の要件を満たす場合に、対象の特定に資する適切な記載がある検証許可状により電話傍受を実施することは、本件当時においても法律上許されていたものと解するのが相当である」と述べて、通信傍受法制定以前に実施された電話の通話内容の「検証」(法218条)を適法であったと判断している(前記最決平成 11・12・16)。このため、通言受法制定後も、判例の法解釈に依拠し、「電気通」以外の対象を受することは「検証」として可能であるとの議論があり得る。しかし、この法解釈は疑問であろう。第一,判例は、「電話受は、通話内容を聴覚により認識し、それを記録するという点で、五官の作用によって対象の存否、性質、状態、内容等を認識、保全する検証としての性質をも有するということができる」という。ここに示された検証の一般的定義によれば、被疑事実に関連する対象通話の聴取・録音が検証としての性質を有するのはそのとおりであろう。しかし、問題は、それが現行刑訴法規定の想定し法定されている「検証」に該当するかである。傍受という処分の性質上、捜査機関が令状により特定された対象通話を選別して傍受するためには、その選別判断に必要な限度で、傍受すべき通話にするかどうかが明らかでない通話をも傍受しなければならない。このよう関係通話の傍受は、検証対象の捜索というべき性質の処分であり、現行「検証」はこのような処分を想定していない。判例は、これを検証に「必要な処分」(法129条)に含まれると解するが、傍受処分に伴うこのような固有の法益侵害には、別途,「特別の根拠規定」が必要というべきである(前記最決平成11・12・16における原利文裁判官の反対意見参照)。なお、通信傍受法は、傍受に「必要な処分」としてではなく、別途、特別の根拠規定を設けている(「傍受の実施をしている間に行われた通であって、傍受令状に記載された受すべき通・・・・・に該当するかどうか明らかでないものについては、傍受すべき通に該当するかどうかを判断するため、これに必要な最小限度の範囲に限り,当該通信の傍受をすることができる」〔通信傍受法14条1項[該当性判断のための傍受])。これは、通信傍受に附随する必要な処分の確認規定ではなく、別個固有の法益侵害処分を実定法として明記し創設したものと理解される。第二、傍受処分の性質上、事前の告知(状の事前呈示)はできないが、対象者に対する事後の通知と不服申立ての機会付与は、憲法31条の適正手続の不可父の要請である。しかし,現行刑訴法上の「検証」にはそのような手続規定が欠落しており、傍受処分は「検証」の枠外にあるとみられる(元原裁判官の反対意見参照)。判例は、「検証許可状による場合,法律や規則上、通話当事者に対する事後通知の措置や通話当事者からの不服申立ては規定されておらず、その点に問題があることは否定し難いが、電話傍受は、これを行うことが犯罪の捜査上真にやむを得ないと認められる場合に限り、かつ、前述のような手続[身体検査状以外の検証許可状にも条件を附加することができるとの解釈に基づき、裁判官は、電話傍受の実施に関し適当と認める条件、例えば、捜査機関以外の第三者を立ち会わせて、対象外と思料される通話内容の傍受を速やかに遮断する措置を採らせなければならない旨を検証の条件として附する等]に従うことによって初めて実施され得ることなどを考慮すると、右の点を理由に検証許可状による電話傍受が許されなかったとまで解するのは相当でない」と述べるが(前記最決平成11・12・16),このような言辞が適正手続違反を正当化する理由にならないのは明らかである。なお、通信傍受法は、処分の事後通知と不服申立手続に関係する多くの条項を創設して適正手続という憲法上の要請に対応している(通信傍受法第3章)。以上のとおり、通話・会話の「傍受」という類型的行為態様の「強制の処分」については、法 222条の2に基づき創設された「通信傍受法」以外に、「特別の根拠規定」は存在しないというべきである。したがって、既存の強制処分規定の解釈・適用によりこれを実行することは許されない。例えば、将来室内会話の傍受処分の要否につき検討し、合憲的な要件・手続を創設するのは、最高裁判所ではなく、立法府の仕事である。*前記判例(最決平成11・12・16)は、裁判官が状に条件を附加する点について、「身体検査令状に関する・・・・・・法218条5項[現6項]は、その規定する条件の付加が強制処分の範囲,程度を減縮させる方向に作用する点において、身体検査状以外の検証許可状にもその準用を肯定し得ると解される」との法解釈を示している。最高裁判所は、いわゆる「強制採尿状」について、身体を対象とする捜索差押え令状に条件を附加することを認めており〔11(5)),判例の一般的理由付け自体は「令状主義」の趣意に則したものである。しかし、強制尿と電話検証のいずれについても、法 218条5項[現6項]の準用という法解釈の外形を纏った、実質的な立法,すなわち、現行刑訴法が想定せず「法定」されていなかった新たな強制処分の創設というほかはない。このような条件の附加は、「強制処分法定主義」に反するというべきである(この点については、賢明な説示をしたGPS 捜査に関する最高裁判例[前記最大判平成29・3・15]参照〔第1章13(3)])。状裁判官が、法定されている強制処分を許可するにあたり、状に条件を附加することによって、当該処分の範囲,程度を減縮させる方向の作用を期する場合とは異なる。**通信傍受法にいう「傍受」とは、後記のとおり、通「内容」を知るため、通宿当事者のいずれの同意も得ないで、現に行われている他人間の電話その他の電気通信を受けることをいう(通信傍受法2条2項参照)。通内容自体の傍受ではなく、例えば、電話番号や通履歴の探知のみを目的として、現に行われている他人間の通信を受ける場合は、通信傍受法の適用外となる。これも「通の秘密」等を侵害する強制処分であるが、現行法の「検証」として可能であると解され実行されている。しかし、事後通知や不服申立ての機会付与という適正手続の観点から慎重な検討を要しよう。法100条(郵便物押収の特則)は通信状態の「検証」にも準用されるべきである。また、不服申立ての局面では「押収」(法430条)と解して準抗告の対象とすべきであろう。なお、GPS捜査に関する前記最高裁判例は、事前の呈示要請(法222条1項・110条)は絶対的な要請とまでは解されないが、これに代わる手続の公正の担保の手段が「仕組みとして確保され」ていないのでは、「適正手続の保障」という観点から問題が残ると説示し、その手続の一つとして「事後の通知」を想定している。***「会話傍受」については、新たな刑事司法制度の構築を調査審議した法制審議会新時代の刑事司法制度特別部会において立法案が審議されたが、今後の検討に委ねられることとなった。審議の過程では、会話傍受が、振り込め詐欺や暴力団犯罪の捜査、あるいは、コントロールド・デリバリの手法による薬物銃器犯罪の捜査の際に、共謀状況や犯意に関する証拠を収集する上で必要であり、理論的にも制化は可能であるとの意見があった一方で、通信傍受以上に個人のプライヴァシイ侵害する危険性が大きく、場面を限ったとしてもなお捜査手法として認めるべきでないとして制度化自体に反対する意見があった。理論上・憲法上の問題は、基本的に通信傍受と同様であり、合憲的制度設計は可能と思われるが、法益侵害の範囲と質が格段に大きいので、高度の必要性が認められる状況・場面に限定して実定法化を試みるのが適切な立法政策と思われる。

「『刑事訴訟法』 酒卷 匡著・2024年9月20日」 ISBN978-4-641-13968-8

その他の捜査手段|通信・会話のの傍受|法的性質及び合憲性

公開:2025/10/21

(1) 人の会話や電気通を介して行われる通話内容を,当事者のいずれの同意も得ることなく密かに聴取・録音する行為(以下「傍受」という)は、当事者間の通話内容の秘密を侵害することに加えて、私的な会話・通話をみだりに他者に聴取されないという両当事者の期待ないし私生活上の自由を侵害・制約する。捜査機関が捜査目的達成のため通信・会話の傍受を実行すれば、このような憲法の保障する価値の高い法益に対する重大な侵害結果を生じ得るのは明瞭であるから、それは、有形力行使や物理的侵入の有無を問わず,「強制の処分」に該当すると解される(最決昭和51・3・16刑集30巻2号187頁参照)。最高裁判所は、電話の通話内容を通話当事者双方の同意を得ずに傍受することは、「通の秘密を侵害し、ひいては、個人のプライバシーを侵害する強制処分である」と説示している(最決平成11・12・16刑集53巻9号1327頁)。* 傍受によって侵害・制約される法益の第一は、通話・会話内容の秘密である。それが「通信」内容である場合には、憲法21条2項の保障する「通の密」を直接侵害する。また、通常、人が他人から私的な会話内容を聴取されること自体は受忍せざるを得ない場所とはいえない住居内等の私的領域における通話・会話内容を密かに傍受する場合には、憲法 35条の保障する領域への「侵入」と「捜索」「押収」に該当する。第二に、憲法13条に由来する人格的法益として、みだりに私的な通・会話を他人に傍受されないという自由・期待が、会話内容の秘密とは別に、これと併せて侵害制約されることになる。前記判例は、「通信の秘密」侵害以外のこのような法益侵害を「個人のプライバシーを侵害する」と総称表現したものであろう。(2)このような傍受による法益侵害の具体的内容に鑑みると、当事者双方の同意を得ない態様の傍受行為であっても、当該会話が、通常、人が他人から会話内容を聴取されること自体は受忍せざるを得ない場所におけるものである場合には(ビデオ撮影に関する前記最決平成 20・4・15参照),会話内容の秘密侵害と私的領域への侵入を欠き、みだりに私的な会話を他人に聴取・録音されない自由・期待のみの侵害にとどまるので、任意捜査と評価されよう(例。公道上や不特定多数の客が集まる飲食店内等における会話内容や、そのような場所において携帯電話を用いて行われた一方当事者の発話内容を聴取・録音する場合)。この場合は、法197条1項本文に基づく「比例原則(権衡原則)」の規律でその適否が定まることになる。(3) 強制処分に該当する態様の受は、前記のとおり憲法上の重要な権利・自由を直接侵害・制約する捜査手段であるが、これらの基本権も絶対無制約とは解されないから、それだけで直ちに違憲になるわけでないのは、現に刑事訴訟法が法定している強制処分の場合(例,「通信の秘密」を直接侵害する郵便物の押収,「住居等の平穏」を直接侵害する捜索・検証、「所持品」の押収等)と同様である。最高裁判所は、電話傍受が「通の秘密を侵害し、ひいては、個人のプライバシーを侵害する強制処分である」と述べた上で、次のようにその合憲性について説示している(前記最決平成11・12・16)。「電話受は、・・・・・・一定の要件の下では、捜査の手段として憲法上全く許されないものではないと解すべきであ[る。].....重大な罪に係る被疑事件について、被疑者が罪を犯したと疑うに足りる十分な理由があり、かつ、当該電話により被疑事実に関連する通話の行われる蓋然性があるとともに、電話傍受以外の方法によってはその罪に関する重要かつ必要な証拠を得ることが著しく困難であるなどの事情が存する場合において、電話傍受により侵害される利益の内容、程度を慎重に考慮した上で、なお電話受を行うことが犯罪の捜査上真にやむを得ないと認められるときには、法律の定める手続に従ってこれを行うことも憲法上許されると解するのが相当である」。この憲法解釈は、被疑事件の重大性、高度の嫌疑(「罪をしたと疑うに足りる十分な理由」),傍受の高度の必要性・補充性、法益侵害の内容・程度等の要素を摘示して「犯罪の捜査上真にやむを得ないと認められるとき」に限り憲法上許容できる旨を述べているとみられ、明らかに通常の強制処分(例,捜索・差押え・検証[法 218条])より一層厳格な限定が加えられている。それは、憲法解釈の最終権限を有する最高裁判所が、傍受によって侵害される感法上の基本権の質と程度を極めて深刻・重大であると位置付けているからであろう。したがって、仮に既存の「法律の定める手続」の解釈・適用に基づく場合には、このような限定的実体要件を充たさない処分は許されず。実行すれば適用意となるはずである。また。国会が捜査手段としての傍受処分を立法する場合に、最高裁の意法解釈に適合しない要件を設定すれば、法令違憲となるはずであるう。なお、手続的側面すなわち状主義(憲法 35条)及び適正手続(憲法31条)の観点における合憲性については、別途説明する〔後記Ⅲ 2 3〕

「『刑事訴訟法』 酒卷 匡著・2024年9月20日」 ISBN978-4-641-13968-8
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